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Florence hymns candle

Author:Florence hymns candle

Florenceこと、國領眞帆の主宰する
アートキャンドルとキャンドル教室のお店です。

2010年、キャンドル教室を開校。
以来、オリジナルのキャンドル演出によるブライダル等、イベントも手掛けている。

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ラーニングコース '16年1月生募集中

一回完結型の誰でも参加できるワークショップをはじめ、技巧習得を目的としたラーニングコースなど、目的に合わせてキャンドルづくりをお楽しみいただけます。

ワークショップでつくるアイテムは、毎月変わります。
その月のアイテムは、このブログにてお知らせしています。
(カテゴリから「今月のワークショップ」をご確認ください)

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ココロノチカラ=感じる事

 お暑うございます

 ・・・と、いいつつ、つくづく暑さにも寒さにも強い、京都人
もちろん、夏だから暑いけどさ、みんなが、何でこれほどに「エアコンかけられない!」「暑い!」「我慢!」と騒ぐのだろう?

 そのココロは=日頃から、少々の暑さでも(寒さでも)すぐにエアコンを入れる事が当たり前、子供等は、赤ん坊の頃から、エアコンが日常で育てられて来てるので、順応性、もっと言えば、対応力、耐久力のないやわな身体と、こらえ性のない精神を自ら作って来ているせいであるとの有識者談

 誠に同意である

 かくいう私もかつては、クーラーや暖房を必要でなくても使う事に、水やゴミやその他もろもろ、エネルギーや環境に、ほとんど興味を向けた事も無かった。

 「ゴミのポイ捨てはいけません」

 それは、環境の問題ではなく、道徳や行儀として意識していただけだった。

 でも、カナダに住んだ事で、自然がとても好きなんだと意識するきっかけになった。

その後、東京の大都会で、スノッブな生活にドボ浸かりにつかり、その頃には観葉植物さえ枯らす生活をするのだが、魂には、自分本来の特性と違う生き方をすると、軌道修正しようとする機能があるようだ

 欲望が大きくなって、本当の自分らしい生活を忘れていると、人間、壊れてしまうようです
身も心も病んだ末に、キャリアにも、ブランドのスーツとハイヒールと、六本木の夜にもサヨナラして、気がつけば、海山を求めて湘南に移住

 その、今でこそ湘南なんぞと洒落ているが、昔は〝藤沢宿〟と言われた相州の田舎ど真ん中の中でも、より田舎へと移行していますなぁ・・・・。
仕事さえ問題なかったら、もっと田舎の熱海とか、いっそ房子ネェさんテリトリーの北海道とかでもいいなぁ・・・

 今の、上村(かむら)という場所は、藤沢市の中でも、極めつけのイナカ
 地域はほとんどが、元農民(現農民も多数)で、御近所は親戚の寄り合い、つまり、未だに「村」
畑向こうの町内会館では、常に人が寄り合い、地域の掃除、防災、祭りなど、団結、結束、情熱は、今の、管(無能)直人と政府に見せてやりたいくらいである。

リアルタイム・上村「おしゃもじ様」と呼ばれる社とトウモロコシ。
たった今、ウチの庭から撮影。下弦の月が出て、涼しい風が吹き始めています

2011071118350001.jpg

2011071118360000.jpg見えるかなぁ・・・下の欠けたお月さま

 もとい、私の田舎暮らし考はさておき、言いたいのは、田舎に暮らすようになってから、そして、この震災での電力問題以来、現代人て、自然の摂理を無視しコントロールした生活に慣れ過ぎて、身も心も、感じるチカラを失っていると強く感じます

 ちょっと、これを見てもらえますか?

2011071117560000.jpg

 私の住まいは、テラスハウスと呼ばれる、二階建ての小さな家が四棟くっついてる、昔でいえば、二階長屋です。
 それぞれの玄関に、小さな植え込みがあって、常緑樹が植えられていますが、痛々しく切られたこれは、お隣のもの。

この前日までは、青々と緑の枝を立派に張り出し、何年かに一回しか咲かない、泡粒のような花が美しく萌え、それは綺麗で素晴らしく、
私は、たまたま、その見事なこと、緑の爽やかさに写真を撮っていました
それがこれです。
2011071117530001.jpgまさか切り倒されると思っていなかったので、全体を写していませんが、風に少し重たそうに揺れるたわわな枝は、それは癒しを与えてくれました
2011071117530000.jpg

2011071117520001.jpg二階の窓から撮影。私がここに来た頃、背丈ほどだったこの木は二階の窓から触れられるほどに大きくなり、海辺の強い西日から家を守ってくれるようになっていた
2011071117520000.jpgサワサワと風に揺れる様は、どんなセラピストにも提供でき得ない癒しであり、神様の芸術である

 海からほど近いここの日差しは、尋常ではありません。
私のウチは南の角で、北以外は全て窓になっているため(建物の安普請も手伝って)日差しの強さと灼熱は恐ろしいほどです。
住人の中では、私が一番の古株で、長年のノウハウから、様々な日よけテクニックを駆使して涼しく暮らす工夫を講じていますが、

 この木は、外出の時や帰宅時には心を楽しませ和ませ、
隣家と当家のお風呂の窓にも、豊かな木陰を作り、その枝で目隠しにもなってくれ、何より、その緑の風情は贅沢な入浴の時間を与えてくれていました。

 この木の、文字通りお陰で、触れないほど熱くなる西側の玄関や窓が守られていましたし、
お風呂などは、窓を開け、自然の緑と風を楽しむ温泉気分の豊かさがあったのです。(キャンドルで入るヒーリング・バスさ)

ところが、撮影から2~3日した、夕方、お風呂の支度をしようとすると、何やらゴリゴリ音が・・・・
覗いてみると、大家さんが憮然と木を切っているのです

 挨拶をすると、「悪いね。うるさくして、虫が来るっていわれてよ(藤沢弁)しょーがねぇ切ってるんだよ」

去年も同じような事があって、その時は、植木屋さんが枝を払っただけでしたが、
あまりに毎年、言われるので、頭に来た大家さん夜8時になるにもかかわらず、車で乗り付け、うんざりだとばかりに根っこのほうからバッサリやってしまったというようです。
一緒に来た息子さんが、「やめなよ!そんな、根っこからっ」と止めるのも聞かず・・・・

 去年の時も、大家さんは、ブツクサ私に愚痴を垂れてました。
彼としては、本音は切りたくはないのに、やらざるを得ないから憮然としているのです。

 私のところのは、入居時に枯れていたために撤去されてしまったので、自分でソテツを置き、ローズマリーと、季節ごとのお花で、Florence のお客様に楽しんでもらえるようにしているので、大家さんからも、「いつも綺麗にしてくれている」と喜んでもらっているのですがThank you!大家さん!
2011071212050001.jpg
2011071119540000.jpgちょっとハワイアンな夏ヴァ―ション

 大家さんいわく、
「國領さんちは綺麗にしてくれてっけどよぉ。みんな、なんもしねぇで、なんでもかんでも大家に言われてもよぉいっくら賃貸ったって自分んとこなんだからちっとは手入れすれば虫なんか来ねぇのによォ。

 彼が、何故に、こんなに怒っているかと言うと、虫にかこつけていますが、落ち葉の掃除が面倒だという、本当の理由が分かっているからです(私も知ってる!だって、虫なんか大して来てないもん

 確かに敷地内の事は大家が管理するのは義務かもしれないけれど、大家さんとしては、お部屋と同じに手入れをして、良い環境を保ってほしい。
見た目にも美しい物件であってほしいと考えていて、庭木の落ち葉の掃除くらいはやってほしいと思ってる。

 権利とか義務とかあるけど、都会のマンションと状況も違うし、私も、大家さんの考えはもっともな事と思うのですけどね・・・。

切り倒して、緑のひとつもなくなれば景観も悪くなるし、なにより、この木だってこの物件の一部ですから傷めたくは無いに決まってるよね。
2011071212050000.jpgお隣の玄関先。住人のいない向こう隣りも切られてしまい、なにも無くなった後は、ゴーストタウンみたいで物悲しい。辛うじて、一番奥の住人が植え木を置いているのが救い



 率直に、家が美しいと大家さんに喜んでもらえるのは誇らしいことではある。

けど、生活そのものが趣味であると考え、自分の家に、労を厭わず、こまめに手を入れ、豊か(豪華とは違う)で、綺麗にしていることは、私の価値観であって、他の人は違う事もあるから、他人のライフスタイルがどうでもとやかくは言えないし、いう権利も無い。

でも、自分達が面倒なことは環境が悪くなっても、命が損なわれても、放置するか排除する。という、ライフスタイルの人々が多い事に、ここに越して来て気が付いたのも事実である。

 長々書いていますが、私は、ここで、近隣の愚痴を書きたいわけではないのです。
今回のことは、庭木一本の瑣末事にすぎないけど、このことと、原発問題や環境破壊の問題の根は同じなのだと感じるのです

 傲慢な言い方に聞えるかもしれませんが、
手入れが必要だったり、ちょっとした厄介や面倒が掛るからといって、緑や花や、小さき動物の命という、たとえば、時に厄介な雑草やノラ猫や野鳥たち、ハチや虫達を、ただ邪魔にする人々。

 そこらに転がっているもので価値のない物と決め込み、それが地球の豊かさと気付けず、それらを愛でる心の文化が無い人々を見るにつけ空しくてたまらない。

 雑草は化学薬品である除草剤で排除し、虫は農薬や殺虫剤で駆除し、ノラ猫は殺処分する。
 美しい木でさえ、掃除が面倒なら切り倒す。

2011071215160000.jpg雑草というけれど、都会でこんな野原は、もう見つからない。
これを美しいと思いませんか?この草を刈ってしまいたいと思いますか?



 その豊かさやかけがえなさ、もたらされる恩恵、そして、もの言わずとも、そのものにも命があるということに気が付けない人々は、それゆえに、この自分たちの生きる世界を守ろうと発想することが難しく、努力、行動することなど望むべくもない。
 
 田舎に暮らし、動物や自然の保護をすればするほど、この現実に直面し、しかし、また、他人は力で変える事が出来ないという事実を知るだけに、ジレンマを感じます

 さても、庭木について、去年は、西日の尋常でなさを訴えて、陰をつくる枝を残してもらったのですが、
今年は大家さんのの前に、「なんも言えネェ」BY北島康介でした

 結果は火を見るより明らかで、お風呂場の窓ぎわに直射日光が当たると、何と80度以上になるのです

 しかし、これは入居時の経験で分かっていたので、翌日、朝のうちに遮光シートと簾をダブルで施してガードしました。

 「虫が来る」とクレームを付けてまで木を切らせた隣家も、二階の室内に急ごしらえで布を張り付けたりして、不具合がでたのは明らか。

 自分達の利便性ばかりを追求し、自然を破壊すると、そのツケは自分達に跳ね返ってくる

 その小さな縮図がここに有ります。

 今の原発問題も、環境破壊も同じ事。
 テレビで話している、政治家や東電の人達にも心の文化を持たぬ人が多すぎて、同じ空しさと、静かな怒りを禁じ得ません。

 この木が無くなって、西側の部屋は、いくらすだれや遮光カーテンにしても、木があった時ほど涼しくなりません。
 フローリングの床は日に焼け退色し、窓枠の塗料は劣化してぺりぺりと剥がれてきます。

 あの木が、自然の力が、いかに人間に優しい恩恵を与えてくれていたのか痛感します。

 他人の価値観は変えられないし、ヒステリーを起して持論を訴え、トラブルを起こしたって仕方ない。
ましてや、自分の持ち物でもない建物や敷地については、どうすることも出来ない。

 ならば、その時、自分はなんとする?1

 力ずくで思慮の浅い他者をねじ伏せたい欲求はある。
だけど、それが詮無い事は明白なのである。
力ずくで言う事をきかせても、そのものの本質を変える事が出来ないなら、結果もまた変わらないのである。

 しかして、以前の私はそれが理解できず、自分の正義の正当性を盾に、「おかしい!」と叫んでは、戦い、パワーでは強力な私ですから、相手をねじ伏せても来ました。

 でも、それでは何も解決しないし、自分を疲弊させ傷つけるだけで意味もなかった。

 そこまでは、体得したけど、そこから先は、未だ答えに至らず・・・・

 私の最大の克服すべきテーマは「怒り」ですが、もし、怒りに、正しい怒りというものがあるとすれば、怒るべき時には「完全な冷静さ」をもって怒らねばならないんじゃないかな。

ヒステリーな感情に振りまわされていては、正しく怒れないのではないか・・・・と感じた事は、今回の「気付き」かと思うけれど

 あの豊かな、淡い緑の萌えが盛りだった木が切り倒され、車一台ほどのそれが、ゴミ捨て場に横倒しにされているのを見ると、何だか無性に悲しく、本当に涙が出た

 ある、ネイティブ・アメリカンの話で、やっとありつけた材木伐採の仕事だったが、チェーンソーで木を倒していると、
「痛い!」「苦しい!」
と、いう木々の声が聞え、初めは気のせいと思っていたそれが、日に日に大きくなって、伐採する行為が耐え難くなり、仕事を辞めてしまったというエピソードを知っています

 私も、あの、玄関の木の声を聞いたと思います

 実際的には、たった一本の庭木が切られたに過ぎないけれど、私の魂は、文字では表せない、それ以上の何かを察し、感じ、見詰めたように思う。

 答えが出たわけでは無い。オチがあるわけでもない。

 でも、皆さんにも考えていただきたい。

 そんなに、便利が良いですか?
 そんなに、辛抱はできませんか?


あれから、空虚な景色になった玄関や、気に入りのキャンドルの灯りで入るお風呂も味気なく、物悲しい。
だけど、尊きものを、見直すことを思い出させてくれたようです。

 毎日、暑くて、汗ダラダラだけど、夏のお日様に、トウモロコシ畑、燕のつがいがピュンピュン気持ちよさそうに飛んでるのを見ると幸せになる。
 青い富士山が入道雲に巻きつかれて、ホイップクリームでデコレーションしたみたいだと思ってムフフと笑う!cid_02@110613_220328@______N01B@docomo_ne.gif

 簾に、小さいカエルの客人雀や猫達。

 不平や不満ですぐに忘れてしまうけど、当たり前の自分の生活が、恵まれた素晴らしいものだと実感できる日が増えて来ているように思います

 株だけになってしまった玄関の木ですが、早く、また枝を伸ばしてくれる事を私は待っています

2011071117550000.jpg大家さんのご理解を賜って、ウチのお庭に来る猫達も避妊手術が進み、私も里親探しに奔走する事が少なくなりました。

 最後に・・・

私が時代劇や時代小説が好きな訳は、平安~江戸と、日本人は「有るがまま」の自然を愛し、慈しみ、楽しむ人々の、豊かな心と生活が見えるからです。

「風情」というものです。

 特に、文化が爛熟した江戸では、その日の食いぶちをその日に賄うような「その日暮らし」が80%という経済事情だったにも拘らず、
日本人たちは力強く、人生をエンジョイし、見るものすべてを楽しんでいます。

不便だけど、不便を楽しむ、貧乏でも風情を楽しむという、ココロノチカラを持っていました。

 それでいて、江戸は上下水から、汚物処理、資源に至るまでリサイクルシステムの出来あがった、スーパーエコシティであったのです。

今こそ、お手本にするべきは、本来の日本人の魂の特性ではないでしょうかねぇ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

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コメント

お隣さん。こんなに太い幹になるにはどれだけの年月がかかったか考えもしないのかなあ。
京都のポプラの街路樹も落ち葉の苦情が多いらしく、夏が終わったらバッサリと葉と枝を切り落としてしまうんですよ。秋の風情を楽しむ事もできないんです
植物も一生懸命生きてるのにね

なぁ・・・e-259げんもそない思うやろ。

 対象が植物でも動物でも同じやけど、植物は動かない、喋らないだけに、「傷つける」「殺す」と感じにくいから守るのも、もっと大変v-478

 しかし、ココロノチカラが無い人を責めるより、自らがココロヂカラ有る人になって、ココロヂカラ人を増やし、集める事が大事なんやと、さっき房子ネェさんの電話で分かったe-420

 私はダースべイダーみたいなもんで、強力なジェダイの騎士やったのに暗黒面が表に出てしまう。
だから、怒りに点火してしまうんですな・・・。

 がんばって、ジェダイに復帰したいと思いますe-282

 フォースの力で木を再生じゃi-234

 枯れたススキでさえ、「風情」と感じる日本人のココロ、ゲンには有るよね!
それ、凄く素晴らしい事e-267

 そこ、大事にしましょう!!

 いっつも有り難う!

 お隣の方はその木ありで借りられたのではないのですか!?
木があることを知っていてお部屋を借りられたんですよね!?
とお隣の人に言いたいです・・・大家さんに代わって

私も歴史好きですが、今歴史ブームだったりドラマ「JIN」が流行っているということは日本の忘れられている風情に共感している人がたくさんいるということではないですかね!?

ココロジカラ人増えていると私は思います。



お薦めは、鬼平犯科帳です。

jinは、時代劇ではないね。ありゃ、完全に現代劇。
時代劇ファンではない層が見てるんだと思うね。

ま、人気があるってことはドラマとしては秀作なんでしょうけど、
時代劇好きとしては、チトちがうんだにゃ。

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